被災地で揚げろ 復興フラッグ [復興フラッグ]
5月17日
朝GOで復興フラッグキャラバンをしてきました
向かったのは、石巻市 女川町 南三陸町 気仙沼市 陸前高田市の沿岸地域
東日本大震災の被災地域です。
色んな考えがあると思いますが、私は被災地を訪れる事は、すべきと考えています。
復興フラッグを持って被災地を訪問し、応援の意味で揚げる
それを、皆さんに見ていただき、今だ復興途上にある東北の姿を知ってもらう
風化しつつある絆を、思い出してほしい
(4年前は、毎日テレビ・新聞で絆が叫ばれてましたね)
私は、復興フラッグの頑張れの対象は、東北の被災地と思っています
被災地でフラッグを揚げ応援する事は、私にとってキャラバンの一番の目的です
女川交番は、まだ、横たわっていました
この通りは、雄勝町のメインストリートでした
商店や民家がこの道沿いに並んでいました
頑張れ 雄勝町
石巻市の大川小学校
慰霊碑に手を合わせてきました。
そこには、樹里亜(ジュリア・仮名)というような、今ふうの名前が並んでいます
私は二人の息子親として、涙が出そうになりました
犠牲になったお子さんのご冥福を祈り、そっとフラッグをあげました
悲しい教訓を今後に生かし、二度と同じ惨劇を起さぬ為の準備をします
南三陸町 防災庁舎
震災遺構として残すよう、県と町で調整が続いているようです
最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」として、語り継がれています。
南三陸町の復興を祈願して、そっと揚げました
頑張れ 南三陸町!!
陸前高田市の奇跡の一本松
津波に耐えて残った松で、復興のシンボルになっています。
震災前
現在
震災遺構の多くは、犠牲になった悲惨な建物が多いのですが、この松は見るものに希望を与えます。
奇跡の一本松の前で、みんなでフラッグを揚げます
頑張れ 陸前高田!! 頑張れ岩手!!
この場所には、宮城・福島だけでなく、秋田・岩手のライダーも来てくれました
陸前高田でいったん解散し、時間に余裕があるメンバーが向かったのは
気仙沼市 岩井崎 龍の松
震災で残った松が、昇龍に見えると有名になった場所です
昇龍の前で、フラッグを揚げます
頑張れ、気仙沼!!
そして、岩井崎の青い海に、フラッグを揚げます
頑張れ 東北!!
津波の被害にあった三陸地方も、大分復興が進んでいます
しかし、以前の街並みを知っている者としては、まだまだ復興の途中だと実感します
ご遺族の事を考え、節度を持った行動を心がければ、訪れるべきと、私は思います
テレビや新聞では伝えきれない、何かを感じる事ができます
朝GOで復興フラッグキャラバンをしてきました
向かったのは、石巻市 女川町 南三陸町 気仙沼市 陸前高田市の沿岸地域
東日本大震災の被災地域です。
色んな考えがあると思いますが、私は被災地を訪れる事は、すべきと考えています。
復興フラッグを持って被災地を訪問し、応援の意味で揚げる
それを、皆さんに見ていただき、今だ復興途上にある東北の姿を知ってもらう
風化しつつある絆を、思い出してほしい
(4年前は、毎日テレビ・新聞で絆が叫ばれてましたね)
私は、復興フラッグの頑張れの対象は、東北の被災地と思っています
被災地でフラッグを揚げ応援する事は、私にとってキャラバンの一番の目的です
女川交番は、まだ、横たわっていました
この通りは、雄勝町のメインストリートでした
商店や民家がこの道沿いに並んでいました
頑張れ 雄勝町
石巻市の大川小学校
慰霊碑に手を合わせてきました。
そこには、樹里亜(ジュリア・仮名)というような、今ふうの名前が並んでいます
私は二人の息子親として、涙が出そうになりました
犠牲になったお子さんのご冥福を祈り、そっとフラッグをあげました
悲しい教訓を今後に生かし、二度と同じ惨劇を起さぬ為の準備をします
南三陸町 防災庁舎
震災遺構として残すよう、県と町で調整が続いているようです
最期まで防災無線で避難を呼びかけ続けて犠牲になった女性職員の行動は、「多くの命を救った命懸けのアナウンス」として、語り継がれています。
南三陸町の復興を祈願して、そっと揚げました
頑張れ 南三陸町!!
陸前高田市の奇跡の一本松
津波に耐えて残った松で、復興のシンボルになっています。
震災前
現在
震災遺構の多くは、犠牲になった悲惨な建物が多いのですが、この松は見るものに希望を与えます。
奇跡の一本松の前で、みんなでフラッグを揚げます
頑張れ 陸前高田!! 頑張れ岩手!!
この場所には、宮城・福島だけでなく、秋田・岩手のライダーも来てくれました
陸前高田でいったん解散し、時間に余裕があるメンバーが向かったのは
気仙沼市 岩井崎 龍の松
震災で残った松が、昇龍に見えると有名になった場所です
昇龍の前で、フラッグを揚げます
頑張れ、気仙沼!!
そして、岩井崎の青い海に、フラッグを揚げます
頑張れ 東北!!
津波の被害にあった三陸地方も、大分復興が進んでいます
しかし、以前の街並みを知っている者としては、まだまだ復興の途中だと実感します
ご遺族の事を考え、節度を持った行動を心がければ、訪れるべきと、私は思います
テレビや新聞では伝えきれない、何かを感じる事ができます
2015-05-26 13:07
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コメント(5)
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大川小学校は昨年ツーリング途中で通りかかり、私も手をあわせてきました
私が行った日は快晴の日で、あの美しい川が溢れて小学校を飲み込んだことが信じられませんでした
忘れてはいけないと強く感じた1日でした
by マッキー (2015-05-26 20:39)
実際に被災地に行くことが今の被災地を知る一番の手段。
と、わかっていても、実際なかなか足を運ぶことが出来ない、あるいはすでに被災地が頭の中から無くなっている方々に知ってもらうきっかけとなれば、良いですよね。
・
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それと、衆目を釘付けにするウマウマも(゜∀゜)
by 赤14 (2015-05-26 21:38)
マッキーさん
私も、同じ思いでした
大川小学校も防災センターも、つらい場所ではありますが、
近づかない、見ない、忘れる場所にはしたくないと思います。
赤14さん
いまだに、復興にむけてボランティアを募っている場所もあります。
そのために、復興フラッグに注目してもらい、気持ちをとどめておくよう、微力ながらがんばります。
当然、ウマウマは場所を選んでやりますね。
by hoshizou (2015-05-27 10:18)
南三陸町でもフラッグ揚げてくれたのですね
ありがとうございます( ๑・ิω・ิ๑)و グッ!
実家があった場所は防災庁舎の近所でした。
防災庁舎で踊って欲しかったです(笑)
by チーム旅☆武蔵 (2015-05-27 18:05)
武蔵さん
防災庁舎は、地元の方も残すことを希望しているようですね。
原爆ドームを訪れて、二度と戦争をすべきではないと思うように
自然災害への備えを、再認識する場所になると思います。
by hoshizou (2015-05-28 23:15)