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津波の爪あと [災害を乗り越えて]

これからの事を考えると、まだまだ問題はあるものの、
ライフラインが徐々に復旧し、少しの余裕が生まれると、少しずつ周りのことが見えてくる。




yasuzouの家に水を届けた帰り道、ちょっと遠回りをしてみた。






いつも通っていたあの場所はどうなっているだろうか。








不謹慎だが、少し好奇心があったことは事実。



しかし、そこに広がる風景は、私の想像を超えていた。

本当に月並みな表現かも知れないけど、想像を超えていた。
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テレビや新聞で見ていたにもかかわらず、どこかメディアを通じてくる情報は、
テレビの箱の中のものと思っていたようだ。
 

この場所に立ったとき、同じ街に住んでいて、あの恐怖を体験した私ですら、
そう考えていた事に気づいた。








今回私が走ったのは、決して、マスメディア関係者だけが入れるではなく、
一般市民が走ることが出来る道路。

これまで新聞に掲載されている、津波の直撃で家屋がすべて流出した場所ではなく
海岸線から少し離れた道路である。
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誰が自宅に船が突っ込むことを予想したであろうか。






こんなに多くのものが流れてきている。
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このあたりは、田園地帯  田んぼには、まだ海水が残っている。
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私が好きな仙台空港そばの松林ロードは通行止め

近くには
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一番ショックだったのはこの場所
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橋を渡って海岸線に向う場所なんだけど、あるべきものがない。

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何が無いのはわからないのだけど、普段目にしていた、記憶にも残らないような何かが
無いのだ。

こんな光景じゃなかったはずだ。


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ふと、下の堀を見ると水没した車が目に入る。
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ドライバーは無事だったろうか。










五感を通じて、震災のすごさとその爪あとを感じてきた。

匂いとか、寒さとか、顔に当たるドロの微塵とか、記憶と一致しない風景とか。



私が伝えられるのは、感じてきた1パーセントにも満たないけど、

それでも、これがこの街の新たな出発点として記録に残し、これから、ずっと

見続けていきたい。 



そして1年後 5年後 10年後 この場所がどうなったか、比較して、その歩みを確認したい。


がんばれ東北!!  がんばれ宮城!!       (そしてがんばれオレッ!!)
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