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モノクロの風景  足尾銅山 [関東遺産シリーズ]

6月12日 土曜日

週間天気予報をみると、以降雨マーク


梅雨前の最後のツーリングになるかなと思っていると、三四郎さんから週末おヒマ?メールが届く。



それじゃ、私が行きたかったところに行きますか!!









集合場所の東北道蓮田SAで、HIDEさん・きよティさん夫妻のお見送りを受けました。

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(先週の画像なので、相棒はいません)

このところ、毎週お二人を見ています。   家族より、会っているお二人です。









さて、今日のコースは、日光いろは坂と足尾銅山コースです。






東北道で宇都宮~日光宇都宮道路をとおり、有名ないろは坂を通って、中禅寺湖を目指します。






途中の駐車場までフリー走行(ワルキューレはコーナーが苦手なので、勝手においてきちゃった)

でも、いつまでたっても、ワルキューレは現れません。








電話したら、駐車場に入らず、中禅寺湖まで行ってしまったようです。








無事、鳥居の下で落ち合い

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すぐに、第二いろは坂を下ります。

中禅寺湖やいろは坂は、とっても絶景ですが、今日はオマケなので、

写真は、コレだけです。

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いろは坂を下って、早めのランチです。










RANZAN定番ランチを、無理強いしてしまいました。
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この場所、走っていて偶然見つけた、ナイスポイントです。

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石のテーブルとイスで、景色も最高。





このときは、太陽が雲にかくれて、いい感じ
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外で食べるカレーヌードルは、格別だなぁ~

水の流れる音と、遠くで聞こえるモリアオガエルの声、そして、吹き抜ける風が、最高のスパイスです。









そして、足尾町に到着です。










足尾銅山----日本の鉱工業の光と陰


足尾銅山は慶長15年(1610)に発見され、かつては日本一の銅産出量を誇った。
その歴史は、「鉱山近代化」の光と、「鉱毒問題」の陰に彩られている。


近代化産業遺産群と呼ぶにふさわしい場所でした。


ココで、私は、同行者の三四郎さんを忘れて、マイナリストモードに突入です。










ここは、本山製錬所
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銅の産出量の増加に対応するため、明治17年に直利橋製錬分工場として開設。

当時の先端技術を導入し、生産量が飛躍的に増加したが、同時に亜硫酸ガスの
排出によって煙害問題も発生。

その後、煙害克服のための技術改良が続けられ、昭和31年に「自溶製錬法」、
「電気集塵法」、「接触脱硫法」を応用した脱硫技術を世界で初めて実用化し、
亜硫酸ガスの完全回収に成功。

< 日光市教育委員会事務局 生涯学習課 世界遺産登録推進室HPより>
(今回の説明はココを参照させていただきました)


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すばらしい煙突です。




しかし、この本山製錬所は、現在撤去作業が続いています。

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これらの本山精錬所は、川を挟んだ対岸の道から見ることができます。



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でも、この壮大な景観を、写真で伝えることは出来ません。

実際に見ると、ものすごい風景なんです。

阿蘇の壮大な風景が伝わらないと同じように、伝えきれないのが残念。それくらいすごい。

ぜひ、実際に行って、その目で確かめてください。


















鉱山住宅

足尾銅山は多くの就業者をかかえていた。
古河鉱業は、各坑口や工場付近に職員と鉱夫のための住宅地を設け、
社宅として提供した。
また、その共用施設として集会所や共同浴場を備え、住宅地に隣接して神社も置かれた。

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かろうじて、生協の文字が見えます
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かつては、みんなココに買い物に来たのでしょう



レンガ造りの防火壁
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業界人、三四郎さんの説明によると、このレンガは、銅を精錬する段階で出来る
燃えカスのようなもので出来ているそうです。

説明を受けましたが、テンションが上がってて、覚えていません。
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古河橋(ふるかわばし)
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明治中期までに架設された道路用鉄橋として、現位置に現存する極めて貴重な橋です。

ピン結合形式のボーストリング・ワーレントラス橋で、 各部材はボルトナットとピンで結合し、
現場でのリベット打ち作業を一切省略する手法が用いられている。


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足尾鉄道

産銅量の増加に伴う輸送力の増強のため、古河鉱業を中心に敷設。



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大正元年には桐生~足尾間が、大正3年には足尾~足尾本山間が開通し、
大正7年には国鉄足尾線となる。
閉山以降も、輸入鉱石や硫酸の輸送に使用されたが、
昭和62年の国鉄民営化とともに貨物列車が廃止。

現在は、わたらせ渓谷鐵道として桐生~間藤間が運行。


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もう、この警報機が鳴ることはない












そのほか、間藤水力発電所跡や
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通洞動力所など
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近代化遺産がいたるところにあります。




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通洞坑
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現在は、坑道の一部が足尾銅山観光として利用されており、マイナリストとしては
不本意でありましたが、しっかりと遊んできました。  800円です。




山の中に、何か高い鉄塔があるっ
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有越鉄索塔 です
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索道(鉄索)は、物資や廃石、廃泥の運搬に用いられた輸送用のロープウエー。

明治23年の細尾索道架設以降、数多くの索道が架けられ
有越鉄索塔は、通洞選鉱所から廃泥を堆積場へ運搬するための索道の支柱として、
昭和14年に建てられた。







こんな、足尾町の一部始終を、このお地蔵様は見てきたのでしょう
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足尾銅山後に、122号線を南下します。



熊谷で、三四郎さんとはお別れです。

風景が、少しずつカラーに戻ります。
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今日は一日ありがとうございました。

マイナリストモードに入ると、同行者のいることをすっかり忘れ、
いきなり道端にバイクを止めて、飛んでいってしまうので大変だったでしょう。

とんでもない先導でした。  次回からの遠足ツーは、ちゃんと理性を保ちます。

ご安心ください。


















追伸

足尾銅山は、世界遺産に残そうという動きもあったのですが、

本山精錬所は取り壊しが進んでいます。


このようよな施設が・・・・
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私が行った時は、
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こうだったのが・・・・・
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いまや、こう
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もっと早くに行っていればよかった・・・・


行くならはやい方がいいですよ!

詳しくはこのHPがお薦め
タグ:足尾銅山
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コメント 20

三四郎

お疲れ様でした。
マイナリストモードに突入したhoshizouさんを見てるのが楽しかったです。
私もタップリとたのしみました。
古いものは大好きです。(家内からは大正生まれ?っと言われます)
モノクロ写真もいいですね~ 昭和初期を感じます。

また行きましょう>

by 三四郎 (2010-06-13 22:52) 

lomgm@n

で、料理のほうは??
by lomgm@n (2010-06-14 00:02) 

北海 熊五郎

おはようございます
 モノクロ写真がいい感じですね。
 煙突が壊される前に行かなければ。。。。

by 北海 熊五郎 (2010-06-14 06:44) 

肥前のFe

時代は変わる です
 1本残った煙突 ・・・ 必死に耐えているよう
 流れつづける排水 ・・・ まだ生きてるぞ~ 
 なんとなく擬人化してしまう オレです 
by 肥前のFe (2010-06-14 08:20) 

KENTA

いろは坂をバイクで走ったのはもう17年前です。
あの頃は旅費節約でテント寝袋装備で走っていました。
インスタントフードでも外で食べると10倍旨く感じます。
良く分かりますよ。
by KENTA (2010-06-14 08:32) 

HIDE

まさに昭和の遺産ですね。
子供を連れ、歴史の勉強に行ってきます!
by HIDE (2010-06-14 20:52) 

T2

ほんとに、光と影の遺産(影の方が多いかも?)ですね~
でも、結構残っていたんですね
しらなかった

by T2 (2010-06-15 00:06) 

uni

写真でも、往時の何かが見えてきそうな気配がありますよ。
実際に見たくなりました。しかも残された時間は短そうですね。
by uni (2010-06-15 02:32) 

GATA

廃墟にはモノクロ写真がにあいますね~。
そしてバイクには夕陽が良く似合う!


by GATA (2010-06-15 11:34) 

key-k

くそー。行きたかった・・・^^;
モノクロの画像、どこからぴっぱって来たんだろうと・・・。
粋な演出ですね^。^

梅雨の合間をぬって行かねば!w
by key-k (2010-06-18 21:21) 

hoshizou

lomgm@nさん
本日のRANZANランチはいかがしょうか。
外で食べるのは、うまいですよ。
by hoshizou (2010-06-20 14:49) 

hoshizou

三四郎さん
ちょっと自分を見失うほど、近代化遺産の数々。
すべてが稼動している時、見たかったですね。
きっと子供が沢山いたんでしょうね。
by hoshizou (2010-06-20 14:50) 

hoshizou

熊五郎さん
もっともっと明治大正昭和を支えてきた近代化遺産がありました。
泊り込みで行きたいくらいです。
by hoshizou (2010-06-20 14:54) 

hoshizou

肥前さん
今、足尾町は、治水と山の再生のモデルケースのようですよ。
いったん死んだ山が、みどりを取り戻しつつあります。
by hoshizou (2010-06-20 14:56) 

hoshizou

HIDEさん
子供は面白くないでしょう。
こんな場所は、おじさん達でいきましょう。
by hoshizou (2010-06-20 15:01) 

hoshizou

T2さん
けっこう、カメラを担いだおじさんや、若者グループが見てました。
私も、この日はデジイチ倶楽部でした。
by hoshizou (2010-06-20 15:05) 

hoshizou

KENTAさん
いまだに、外食が大好きです。
外食って、その名のとおり、外で食べるですから。
我々のタンクバックの中には常にコンロ。
昼飯は400円ですね。
by hoshizou (2010-06-20 15:05) 

hoshizou

UNIさん
この日は、タンクバックにデジイチでした。
この風景だけは、デジイチで撮りたかった。次は、軽井沢ですよ。
by hoshizou (2010-06-20 15:07) 

hoshizou

GATAさん
この場所は、日本の銅の産出量の1/4をしめ、日本の近代化に
大きな役割をもってしました。
実際に精錬所跡をみると感動しますよ。
by hoshizou (2010-06-20 15:26) 

hoshizou

keyさん
精錬所全体が、白黒に感じる、風景でした。
ココは行くべき。
今年のツーリングGOGOの関東版でも紹介されてます。
by hoshizou (2010-06-20 15:29) 

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